■ 『須藤京一。』誕生秘話 ■

 それは、今を去ること2000年の頃だったか、
 まだ、私が別なHNを名乗っていた、ネット初期の頃の話である。

 知人の公開チャットで、知り合いとチャットを楽しんでいたのだが、
 プライベートな話題を会話するにあたり、
 固定HNではROMもいることだしまずいだろうという事で、
 急遽手頃なHNをつけることにした。
 その当時、我が家では子どもたちが気に入っていた走り屋アニメ
 『頭文字D』(原作:しげの秀一)に家族ではまっていたこともあり、
 その登場人物を名乗ろうと思った。

 『藤原拓海』ではあまりに年齢が違い過ぎる。
 かといって『高橋兄弟』というイメージでも無い。
 とっさに思いついたのは、ライバルの立場とは言え、
 悪役でもない『須藤京一』だったのだ。
 年齢的にもシリーズの中では年配格であり、どことなく独特の存在感がある。
 渋いランエボ軍団の中でもメンバーから慕われているリーダー格。
 そんなところが気に入った。
 (間違っても『岩城清次』は論外。
 もっとも彼の発した『アウトオブ眼中』は大ヒットした決め台詞。笑)
 とか言う思考回路を1分程で組み立て、
 『須藤京一』名でチャットに参加したのが始まりだったのである。

 その当時は『須藤京一』で検索をしても1000件もヒットしなかったが、
 今では44,900もの件数がヒットする。
 数年前だったか、同名他者のHNと区別するために、末尾に『。』(句点)を追加。
 (べ、別に『モー娘。』の影響ではない。。。汗;)
 今に至る。

 それ以来、殆どすべてのネットにおいて、
 以前の固定HNを『須藤京一。』に変えて活動することに。
 主に人生相談サイト、メンタル系相談サイト、
 某企業系総合相談サイトでのアドバイザーをボランティアでこなしていた。

 精神的に少しおかしい奴らともさまざまなバトルを展開したが、
 どれも負けることなく(最もバトルしたスレッドは管理者側に削除されちゃったけど。)
 その後、管理者にアクセス拒否をされることもなく、
 逆に優良回答者として登録待ち状態(個人情報打ち込むのがいやで放置してる。笑)。

 面白かったのは、2ちゃんともサイトをまたいでバトル展開したのだけど、
 くそみそに嫌われた他の回答者に比べて、何気に可愛がられたのはご愛敬。
 下品な書き込みが多いので嫌いなサイトだが、まじめな人間に対しては、
 それなりの評価を下すのだなとその時感じた。

 今は時間的にゆとりもなく、また、ネットでのコミュニティのあり方に疑問を感じ、
 すべてその当時の連中とは付き合いをフェードアウトさせ、
 自分個人のHPを作って新たなコミュニティを模索している。

 前述の漫画の登場人物『須藤京一』の愛車が、
 エボV(三菱ランサーエボリューションV GSR)であったことから、
 急速に、ランエボに対して興味がわいた。
   『エボリューション』の言葉の意味が『進化』だと分かった瞬間に、
 人間関係で躓いていた自分自身が『進化』を遂げるべく自身に課せられた課題なのかと、
 まるで、神の啓示を受けたようなショックを感じたのを今でも覚えている。

 すでにエボVは過去の乗り物となっており、
 自分としては事あるごとに出会う『7』という数字を冠した、
 『ランエボZ』が所有できたらいいな。。。というレベルの願望だった。
 その当時、ダンデライオンイエローという、ド派手な外観のエボZは、
 それ以前のエボのガンダム様のごついルックスから進化し、
 力強い走りと洗練されたデザインを備えた大人の乗り物と化していたのである。

 7年間思い続けていたのはエボZなんだけど、
 中古車市場ではなかなかいい車がでない。
 そうこうしているうちに息子からの助言もあり、
 状態のいいエボ[を実際に見に行って即決。

 極限の走りをするプロのカーレーサーでもないので、
 正直、乗りこなすことができれば上等かも?笑 
 旧愛馬は、本当に家族に尽くしてくれた。
 今度のエボ[は走りの楽しさを味わわせてくれることだろう。

 『須藤京一。』と『ランエボ』。
 ほんの偶然の出会いとはいえ、こうしてランエボオーナーとなった今、
 不思議な運命を感じている。
 願わくば、名に恥じぬような生き方をしていきたいとあらためて思う。

                               2009年10月 須藤京一。



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